自分は自分でいよう~病気と折り合いをつける~:基準を下げよう!

こんにちは!
谺(コダマ)ッチャンこと、児玉朋己です。

お元気してますか? 私はバッチリです!

闘病、とは、病気と闘うと書きます。
文字通り病気と闘ってしまうと、「こんなことではいけない。自分はもっとできるはずなのに」という切迫感・焦燥感をもってしまいます。

この切迫感・焦燥感は、あまり良い結果を生みません。

切迫感・焦燥感に苛まれているときどうするか?

基準を下げるのです。

今日は、このあたりのことについてお話しします。

 

自分は自分でいよう~病気と折り合いをつける~

 

〝不完全な自分〟が存在して良いのだ

「病気と折り合いをつけることを知る」ステップのうえで大事なことがあります。
それは、「〝不完全な自分〟が存在して良いのだ」と自分を受け容れ、「自分は自分でいよう」と思うことです。

 

向上心と切迫感・焦燥感

意識上の出来事で表現してみましょう。

私たち病者は、陰性症状との闘いの中で、発病前の自分を基準にして四苦八苦してしまいがちです。

「あれも出来ない」「これも出来ない」「もっと出来たはずなのに」「いや、もっと出来る」といった意識を持ちます。

これは、以前から持っていた「向上心」から出てくる健全な意識です。

 

本人としては、それが当然だという思いが強いでしょう。

ジリジリと身を焦がしている感覚の方もいると思います。少なくとも、私はそうでした。切迫感や焦燥感も感じていると思います。さもありなんと思います。

 

基準を下げよう!

さて、 ここで私が提案したいのは、〝基準を下げよう〟ということです。

「すべてのことについて、いったん基準を下げよう」 と提案したいと思います。

「病者のペース」「病者の基準」を持とうということです。

 

自分の現状にジリジリとした欲求不満・向上心を持っている方は、

 

  • 「基準を下げてしまっては自分が自分でなくなる」
  • 「現状のままで良いわけがないじゃないか」
  • 「このままでどうしろと言うのだ」

 

と感じるでしょう。

それはわかります。

しかし、「もっとしっかりしなくちゃ」「もっと出来るはずだ」という切迫感や焦燥感を持ちジリジリとした欲求不満を持って日々を過ごすのでは、毎日が辛いだけの日々になってしまいます。

一日一日がたいへんもったいないものになるでしょう。

切迫感や焦燥感を持って1日頑張っても、出来ることが多くなることはないでしょう。
それは同意していただけると思います。

 

基準を下げるのは、病気に負けることではない

「病者のペース」「病者の基準」 を持つということは、病気に負けることではありません。

これは、病気を躱す(かわす)ための知恵です。

 

「大きくジャンプするためには、いったん低い姿勢をとらなければならない」

 

という意味の言葉を聞いたことがありませんか?

「いったん低い姿勢をとる」 そう、「いったん基準を下げる」 のです。

 

基準を下げても、病気には負けない

基準を下げても大丈夫です。病気に負けてしまうことはありません。

ただ、あなたが1年後にこうありたいとイメージしていることが、2、3年後あるいは3、4年後になるかもしれません。

でもそれは、切迫感・焦燥感を持っていても同じです。

焦って欲求不満に苛まれながらその期間過ごしていくのと、いったん基準を下げて、「いまはこれだけ出来れば良いのだ」と日々満足感を持って過ごしていくのとでは、精神衛生上大きな違いがあるでしょう。

 

もう一度言うと、いったん基準を下げるのは、病気を躱す(かわす)知恵です。

病気に負けることではありません。

 

まとめ

どうでしょう?

「不完全な自分が存在して良いのだ、自分は自分でいよう」という思いを持ってみませんか?

 

 

 

生きるって何だろう? 生命って何だろう?
谺(こだま)

 

 

 

 

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ABOUT US
谺(こだま)
谺(こだま)こと、児玉朋己といいます。 歌うピア・サポーターをしています。 静岡県藤枝市にある自立生活センター「おのころ島」が運営している地域活動支援センター「りんりん」の施設長です。 精神障害を持つ方へ同じ当事者としてピアカウンセリングを行うほか、シンガー・ソングライターとして音楽活動をしています。