統合失調症からの回復の度合い
さて、ここからは「達観型」の方に向けた内容になっています。もちろん、「切迫型」の方も読んで参考にしてください。
ここで、統合失調症からの回復の度合いについて、統計データを見ておきます。これは、平成28年度の藤枝市の精神保健福祉講座で示されたものを拝借しました。欧米の研究です。
これを見て、あなたはどのように感じますか?
自分はどこに入るのだろう?と考えてしまいますね。
人により「完全に回復する」から「改善しない・死亡する」まで、回復の度合いにかなり差があることがわかります。また、それぞれの項目が25%ずつというように、各項目に人がまんべんなく散らばっていることがわかります。
これはどういうことかというと、「統合失調症は、完全に回復できる病気だ」というのは間違いだし、「統合失調症は、回復がまったく望めない病気だ」というのも間違いだということです。
念のためもう少し言うと、「統合失調症は、かなり改善できる病気だ」というのも間違いだし、「統合失調症は、いくらか改善する病気だ」というのも間違いだということです。
私なりにこれを一口で言うと、「統合失調症の回復の度合いは、人それぞれでまったく違う」となります。
回復の度合いと色合い
回復の度合いに色合いを表すグラデーションを重ねてみました。
ただ「回復の度合い」と言ってしまうと色がなくなってしまいます。
統計データには表れませんが、実際には、陰性症状や認知機能障害の残り具合や、発病前から持っていたその人の個性によって、どのように回復するか、人によりその色合いがまったく違ってきます。その色合いの違いを忘れてはいけません。
たとえば、おなじ「かなり改善する」の人でも、黄色の人と青の人ではその人の特性は、まったく違うでしょう。特性とは、得意なこと、不得意なこと、楽しいこと、辛いこと、耐えられないこと、性格などです。
これは、就労にからめると重要な視点になってきます。
「回復の度合い」だけを見れば、「完全に回復する」のなかに入っている人は、おそらく一般就労が可能でしょう。「かなり改善する」の人も、頑張れば可能かもしれません。
そこに、「回復の色合い」の視点を加えてみると、たとえば「かなり改善する」の人だとしたら、自分の色に配慮せず無理して一般就労した場合、仕事をこなしていくことで毎日が精いっぱいになり、私生活から「余裕・潤い」がまったくなくなってしまうおそれがあるのです。
言い換えると、回復の度合いだけを見て、「この人にこの仕事ができるんだから、同じくらい回復しているあの人にもこの仕事ができるはずだ」という判断は危険だということになります。同じ度合いで回復していても、生活のしづらさやその人に合っている仕事は違うからです。
このように見てくると、あなたにとっては、「自分の回復の度合い・色合いをよく見つめ、自分にふさわしい働き方を見つける」ことが大事だということがわかります。
「自分に合った働き方・生活の仕方がある」ことを忘れないようにしましょう。
精神障害者が持つ二つの権利
あなたを含め精神障害者のほとんどは、「できることなら働きたい」と思っています。
これは、回復の7つのステップのどこにいても同じですが、ステップによってその思いの表れ方が変わってきます。
先ほども触れたようにステップ4以前では、「少しでもよくなったら働かなきゃいけない」という切迫感に突き動かされます。周囲の人から見ると無謀で無茶なチャレンジを繰り返します。
それに対してステップ4以後では、地に足がついて、自分にできる仕事を慎重に選ぶようになります。表れ方は違いますが、どちらも「働きたい」という気持ちから出てくることです。
あなたも、周囲の人も、この気持ちを決してないがしろにしないでください。これは病者であっても持っている純粋で健全な思いです。
もし働けたら、仕事は社会参加の最たるものであり、大きな充実感と貢献感を持つことができます。働く権利は精神障害者であっても当然持っている権利なのです。
この気持ちの通り、働けるようになれば万々歳なのですが、あなたはやむをえず働かないことを選ぶかもしれません。
このシリーズ記事の表題は「精神障害者のあなたが働くということ」ですが、ここで、「精神障害者が働かないということ」についても考えておきます。というのは、自立支援法に顕著だったのですが、障害者に対し、自立とは仕事に就くことだというプレッシャーが強くかかったことがあり、働かないでいる精神障害者が非常に肩身の狭い思いをしたことがあったからです。
私は、精神障害者には働く権利と働かない権利の両方があると思っています。どちらもないがしろにできません。
精神障害者にとっては、働くことと同じくらい働かないことは重要です。一方だけ言うことはできません。
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