赤ちゃんを床に叩き落とす衝動を抱えるほど絶望していた私がそこから抜け出した方法

こんにちは!
谺(こだま)こと、児玉朋己です。

お元気してますか?
ずいぶん久しぶりの投稿となりました。

公私ともに忙しく、
つい、
投稿が後回しになってしまいました。

本日は、

『猫鳴り』

という小説を読んでインスパイアされたエッセイをお届けします。

題して、
赤ちゃんを床に叩き落とす衝動を抱えるほど絶望していた私がそこから抜け出した方法
です。

ではでは~

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『猫鳴り』(沼田まほかる 作)双葉文庫

赤ちゃんを床に叩き落とす衝動を抱えるほど絶望していた私がそこから抜け出した方法

赤ちゃんはかわいい

赤ちゃんはかわいい。

ペンギンの赤ちゃんもかわいいし、
人間の赤ちゃんもかわいい。

それは、
赤ちゃんが生命の炎そのものだからだ。

赤ちゃんは、
自分の周囲にある事物一つひとつに純粋な好奇の目を輝かせ、
まだ短い腕をぎこちなくも懸命に伸ばしつかもうとする。

大人はそんな無垢に全幅の信頼を置く。

赤ちゃんを見てイライラしていた私

しかし、
そんな赤ちゃんを見てイライラしていた時期が私にはある。

目をキラキラさせ生き生きとハイハイしている赤ちゃんを見て、
「何がそんなに楽しいんだ?」
とイライラしたものだ。

赤ちゃんを抱かせてもらったこともあったが、
胸に抱えながらも床に叩き落としてやろうかという衝動がみぞおち深くに渦巻いていることに気づき、
怖くなって早々にその異物を母親に返してしまった。

当時は、
そのイライラに困惑しつつもその理由を深掘りする余裕はなかった。

その困惑の理由

いまならその困惑がわかる。

精神の病気になって、
発病前に勝ち組になれると思っていたようには生きられなくなった。

生きていることがつまらなく、
行き場のない不満があった。

だから、
自分と違い生命の炎を思うがままに燃やしている赤ちゃんにイライラしたのだ。

絶望という名の黒い穴

大人はふつうそういう困惑を〈絶望〉というらしい。

発病から30年。

私はその絶望という名の黒い穴を手なずけ、
前向きな感情で埋め立てることができたと思う。

まだ十全ではないけれど。

自己否定をやめた

それを可能にしたのは意識的・自覚的に自己否定をやめたことだ。

できない自分・ダメな自分を「だからダメなんだしっかりしろ」と叱咤激励してもあまりうまくいかなかった。

自分を責めているうちは、
自己肯定感を自分で削る一方だった。

自分でせっせと穴を拡大し続けていたのだ。

自分をゆるし続けるという方法

自己否定をやめるとは、
できなくてもうまくいかなくてもそんな自分をゆるし続けるということ。

それにより穴の拡大がストップする。

すると、
あとは日常で自然に発生する前向きな感情で穴は次第に埋まっていく。

まず穴の拡大を止める。

それが方法だ。

まとめ

このエッセイは、
私が参加している「ふみサロ」というサロンで月1回書いているビブリオエッセイです。

課題図書が出されるので、
その本から得たインスピレーションでエッセイを書きます。

本は読んでも読まなくても構いません。

題名から、
装丁から、
内容から、
あるいは本の質感から、
自分が感じたことを書いて発表するサロンです。

今回は、
『猫鳴り』第二部の登場人物に共感する自分がいたことを思い出し、
書きました。

この本を読んでいない人にも伝わるように、
本を読んだ人にはさらに面白く共感してもらえるように、
と考えて書きました。

自分としてはまずまずうまく書けたと思っています。

読んでくださったあなたはどう感じましたでしょうか?
感想をコメントしてくださると嬉しいです。

では、また。

生命って何だろう? 生きるって何だろう?
谺(こだま)

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ABOUT US
谺(こだま)
谺(こだま)こと、児玉朋己といいます。 歌うピア・サポーターをしています。 静岡県藤枝市にある自立生活センター「おのころ島」が運営している地域活動支援センター「りんりん」の施設長です。 精神障害を持つ方へ同じ当事者としてピアカウンセリングを行うほか、シンガー・ソングライターとして音楽活動をしています。