権利擁護と意思決定支援について

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こんにちは!
谺(こだま)こと、児玉朋己です。

お元気してますか?
ずいぶん久しぶりの投稿です。

昨年末くらいまでは週に1本程度の投稿ができていました。

当時、
コロナにかかってリズムが狂ってしまい、
その後何度か投稿はしたものの、
立て直しができないままになっていました。

気持ちをあらためて仕切り直し、
定期的な投稿にチャレンジしていこうと思います。

週1本くらいが目標です。

内容は、
「シン・病者の教養」
に当てはまるエッセイにしていきたいです。

あんまりガツガツせず、
短めの記事にするよう心がけます。

よろしくお願いいたします。

今回は、
私が仕事やこのブログでやって行きたいことについて語ろうと思います。

ではでは~

権利擁護と意思決定支援について

私が仕事でしたいこと、
あるいはブログなどで発信したいことは、
精神障害者の権利擁護だと思い当たった。

権利擁護とは、
障害者の権利を守ることで、
具体的に何をやるかについては三っつの領域に分けると考えやすいという。

(スーパー又村塾ONLINEより)

権利擁護の三つの領域

(スーパー又村塾ONLINEより)

動画の又村さんは、
権利擁護を

  • 担保
  • 支援
  • 開拓

の三つの領域に分けている。

これらのうち「担保」の領域については、
不可欠でどんなことがあっても担保されるべき領域なので、
私が仕事を行っていく上で法律違反があってはならない。

それをのぞくと、
利用者さんがどこかで虐待や差別を受けていないかをやんわり見守る程度が私の職場でできることだろうか。

私がかかわれる領域【意思決定支援】

私が日常の仕事をとおしてできるのが「支援」と「開拓」の領域にある意思決定支援だ。

意思決定支援とは、
その利用者さんが小さなことからある程度大きなことまで、
自分の意思を自分で決めて実行に移すことを支援することだ。

小さなこととは、

  • 今日の昼ごはんは何にしようか?
  • こんどの日曜日にはどこに遊びに行こうか?
  • こんどの髪型はどういうふうにしようか?

等のこと。

ある程度大きなこととは、

  • 福祉的就労先はどの事業所にしようか?
  • 実家を出るとして、アパートで一人暮らしをしようか?、グループホームに入ろうか?

等のこと。

支援者としてのポイント

どちらについても、
利用者さん本人には意思があり、
自己決定する能力もあるという前提に立ち、
自己決定する環境をあらゆる意味で整えるための支援をする。

精神障害を持っていても、
知的障害があっても、
本人には意思がある。

また、
自分で決められる。

決められないとしたら、
それは本人に力がないのではなく、
支援者が、
本人が決定するために必要十分な情報や見通しを与えていないから
だと考える。

これがポイントだ。

チーム支援を忘れない

もちろん、
私の職場は地域活動支援センターだから、
その特性上できること・できないこと・すべきでないことがある。

その制約の中で、
意思決定支援をとおして利用者さんを応援する。

また、
支援はその利用者さんにかかわっている相談支援専門員や他の福祉事業所とのチーム支援だから、
その中での私の職場りんりんの役割に沿った支援内容になる。

必要があれば基幹相談支援とも連携をする。

まとめ

ブログ発信の仕切り直しをするにあたって、
自分の仕事でしたいこと・できることを振り返って考えてみた。

これまで受講してきた研修資料を見返したり、
YouTubeで検索したりした。

私自身の覚書のような内容になってしまったが、
障害を持っていてサービスを利用している方の参考にもなるかもしれない。

何かの取っ掛かりになれば。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

では、また!

生命って何だろう? 生きるって何だろう?
谺(こだま)

4件のコメント

児玉さんがやりたいことが多岐に渡り、結局よく分からない。
「社会に大きなインパクトを残したい」
と言うのも純粋ななにかを好きだからやり続けたいと言う思いでもないようだし、
障害者の人権擁護についても私は否定的な立場です。ノーマライゼーションだといって障害者が社会に飛び出たいと思うなら、世から出る批判意見を真摯に受け止めるべきだと思う。
児玉さんの作品のみならず、行動全体が、わかる人にだけ分かればいい、批判意見は受け入れられないと言う過剰保護によって成り立ってると思うため、賛成出来ない。
「感染対策が完全に間違いで、全員が死んでもそれはそれと受け入れる」
「1%の人間が人民を支配してなにが悪く、問題なのか?」
とオリジナリティあふれる名言を残した児玉さんが、どこまで世の中で通用するかは、批判を批判としてきちんと受け入れ、誠実に対応できるかに尽きると思います。

そもそも私がスーパーで冷蔵庫に閉じ込められたことに関し、児玉氏はなに一つ行動を起こさなかったと思います。権利擁護だなんだ言うのはいいですが、児玉さんがそれを言うのは、納得出来ないなぁ。

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たしかにこれは私に都合の悪いコメントですね。

万太郎さんにどういう意味合いで語ったかいまとなっては記憶にありませんが、
「社会に大きなインパクトを残したい」というのは、
子どもの頃から20代くらいまで、
あるいは発病後30代終わりごろに「こりゃ到底無理だ」と認識するまで、
私が持っていた思いです。
まあ、
若気の至りの時期の自分の思いを万太郎さんに語ったのだろうと思います。
もしかすると、中年以上になってしまった自分でもあわよくば、と思う気持ちを正直に話したのかもしれません。

「障害者が社会に飛び出たいと思うなら、世から出る批判意見を真摯に受け止めるべき」
というのは、障害者の人権擁護についてのことのようですね。
万太郎さんは、一般に障害者は批判意見を受け止めるべきだと考えているんですね。

「作品および行動全体が過剰保護によって成り立っている」
というのは、たしかにそうかもしれません。
「何をそんなに怖がっているんですか?」
と万太郎さんに言われたこともありましたね。
私は批判が怖いです。
だから発言や発信は「ここまでは言えるな」と思えることだけを言うように気をつけています。
でも、この万太郎さんのコメントのように批判されるときは批判されます。
だから過剰保護になってしまいます。

「感染対策が完全に間違いで、全員が死んでもそれはそれと受け入れる」
これは、新型コロナへの日本社会の対策について私が言った言葉ですね。
たしかにこう言ったと記憶しています。
新型コロナへの対策については、私は、日本の厚生労働省(と、それに代表される医学・医療従事者全般)が進める方針・方策が大筋として正しいと信頼しています。
個別に間違えることがあるかもしれませんが、それでも信頼するということです。
信頼するというのは、最良の判断をしてくれると信じるということです。
間違ったら修正するだろうし、構成員の誰かが個別に悪意を持った行為を行ったとしても修正されるだろうと信じるということです。
これは、もしそのように動いてくれる厚生労働省(と、それに代表される医学・医療従事者全般)が完全に間違ったとしたら、それをゆるすということでもあります。
なぜなら、彼らは最善を尽くしていると考えているからです。
総合的に見て、すくなくとも私のするより良い選択・判断を膨大な量し続けてくれていると考えるからです。

「1%の人間が人民を支配してなにが悪く、問題なのか?」
これも言ったかもしれませんが、どういう意味だったかなぁ。
さすがにちょっと弁明しづらいですね。
たしかに、人民主権・民主主義という価値観からいうと問題発言ですね。
「もしこのような社会・国があったとして、善政が行われその住人がその状態に本当に満足していた場合、その為政者を責められるだろうか?」
という問いかけだったか? と考えたいですが、こじつけに聞こえますね。
問題発言だったかもしれません。

「冷蔵庫に閉じ込められた」件についても話しましたね。
万太郎さんの不満はおそらく、私が「仕事の枠内(だと私が考えた)範囲でしか動かなかった」ことだと思います。
シンプルに言うと、地域活動支援センターという枠でやることしかしなかったということです。
基本的には利用者さんの話を傾聴すること、施設の内で行うことを支援すること、等しかしなかった。
施設外に出ていき直接問題を解決することはしなかったということですね。
万太郎さんの期待に沿えなかったのだと思います。
話を聞くことしかできませんでした。

今回のブログ記事では、「利用者さんがどこかで虐待や差別を受けていないかをやんわり見守る」と書きました。
冷蔵庫の件は、ここに当てはまりますね。
見守って、実際に虐待が起きていたら私はどうするのか?
万太郎さんの期待に沿えなかったことをふまえ、これから考えていきます。

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ABOUT US
谺(こだま)
谺(こだま)こと、児玉朋己といいます。 歌うピア・サポーターをしています。 静岡県藤枝市にある自立生活センター「おのころ島」が運営している地域活動支援センター「りんりん」の施設長です。 精神障害を持つ方へ同じ当事者としてピアカウンセリングを行うほか、シンガー・ソングライターとして音楽活動をしています。