「THE GREATEST SHOWMAN(グレイテスト・ショーマン)」レビュー:それこそが本物だ すべてを失っても得たもの

こんにちは!
谺(コダマ)ッチャンこと、児玉朋己です。

元気してますか? 私も元気です!

あなたは、自分は本物だろうか? 偽物ではないだろうか? と自分に問いかけたことはありませんか?
私はあります。

仕事で、私は本物であるか?
シンガーソングライターとして、私は本物であるか?
そもそも人として、本物であるか?

「自分は偽物ではないか」と苦悶したことのあるあなたに、今日は、「THE GREATEST SHOWMAN(グレイテスト・ショーマン)」のレビューをお届けします。

完全にネタバレしてます。
まだこの映画を観ていないという方はご注意ください。

 

本物と偽物をめぐる人間ドラマ

この映画を観ての第一印象は、主人公のフィニアス・テイラー・バーナムを描いた人間ドラマなんだな、という印象でした。
特に、本物と偽物をめぐるフィニアスの葛藤が印象に残りました。

 

あらすじ

仕事先の良家でチャリティと出会ったフィニアス。二人は恋に落ちます。

花嫁学校に行ってしまったチャリティとの文通以外は屈辱に満ちた少年時代。

いくつもの職を転々としながらもチャリティと結婚、幸せにすることを約束。

勤めていた貿易会社が倒産したのをきっかけに博物館を始めたものの低迷。

二人の娘たちの言葉に刺激されフリークスによるサーカスを創業。これが当たる。

自らスカウトした劇作家フィリップ・カーライルのコネで英国ヴィクトリア女王に接見、ジェニー・リンドと出会う。

サーカスをフィリップに任せ、ジェニー・リンドのツアーに出発。

ツアーは成功していくが、ジェニーの求愛を拒んだ結果失敗。破産。サーカスの劇場も焼失。

フリークスの仲間とフィリップに励まされテントでサーカスを再建。

 

生き生きと描かれるフィニアス

フィニアスは、少年時代はもとより、大人になってからも想像力豊かで誠実、また機転の利くアイデアマンでした。
いろんな場面でそうとわかるエピソードが描かれます。

たとえば、フィニアスとチャリティが初めて出会ったとき、フィニアスは行儀作法を習っていたチャリティを笑わせ彼女は自分の服を汚してしまいます。チャリティは父親に叱られますが、フィニアスは「悪いのは僕です」と名乗り出ます。

また、大人になって勤めていた貿易会社が倒産した日は娘の誕生日でした。フィニアスはうっかり忘れていたのですが、あり合わせの材料で素敵なプレゼントを作ります。プレゼントに感動した娘たちが歌った歌は、少年少女だったフィニアスとチャリティが歌っていた曲でした。

あるいは、大好評のフリーク・ショー(見世物小屋)について新聞が悪評を掲載しますが、それを半額チケットに使うなど逆手にとってさらに多くの観客を呼び込むのです。

 

上流=本物 VS.下流=偽物

上流階級に属する劇作家のフィリップを下流階級のサーカスにスカウトしようとする交渉の場面から、

上流=本物 VS.下流=偽物

の対立・葛藤が描かれ始めます。

 

自分の言葉に引っ張られていくフィニアス

まず、ヨーロッパ随一のオペラ歌手ジェニーにアメリカ公演に誘う際、「なぜ私に?」と問われたフィニアスは、「自分が手掛けたサーカスははったりだ。一度は本物を手掛けたい」と答えます。

そして、ジェニーの初演の際には、仲間のフリークスたちを「目立つから」という理由で立見席に立たせたり、公演後のパーティーに参加するのを拒んだりします。まるで自分の言葉に引っ張られていくようです。フィリップはそんなフィニアスに驚きます。

また、バレエを習いプリマドンナにも選ばれた娘キャロラインは、いじめにあいバレエをやめたいと言いだします。そのとき、キャロラインは「バレエは積み重ねが大切なの。サーカスとは違う。本物なのよ」と言うのです。

こうして、ジェニーのアメリカ公演を成功させれば上流階級の仲間入りができると考えたフィニアスは、サーカスをフィリップに任せてツアーに出てしまいます。

 

フィリップの場合

また、「上流=本物 VS.下流=偽物」の対立はフィリップを通しても描かれます。

フィリップはサーカスの一員である黒人のアンに恋をするのですが、両親がアンを侮辱するのです。

この対立を克服するフィリップとアンのサイドストーリーが素敵です。
二人の歌とダンスにはうっとりさせられます。

 

フリークスたちの歌とダンス

さて、物語の進行にいろどりを与えているのがフリークスたちによる歌とダンスです。
私としては、特に、パーティーへの参加を拒まれてから「THIS IS ME(これが私だ)」と歌う、自分の異形を主張した歌とダンスが好きです。

偽物だと言われたサーカス団が、実は本物なのだと表明する歌とダンスです。

また、物語の終わりにすべてを失ったフィニアスを立ちなおらせ、チャリティのもとへと送り出した歌とダンス。
友情と愛を表現した力強い歌とダンスです。

熱いメッセージに圧倒されました。

 

結局、本物とは?

フィニアスに拒まれたジェニーはツアーを辞めたため公演は中断されフィニアスは破産します。
また、サーカスの劇場は火事で焼失。チャリティも実家に帰ってしまい、フィニアスはすべてを失います。

落胆しているフィニアスをフリークスが励まします。
サーカスが家族であり家だった。それをくれたのはあなただと。

 

ここで、上流と下流、本物と偽物の葛藤に苦しんでいたフィニアスは自分で答えを見つけます。

輝きは失せ 壁も崩れた そのガレキの中 残されたもの
それこそが本物だ すべてを失っても得たもの
それが僕を連れ戻す 君たちへと

(フィニアスの歌)

 

フィリップが言います。

僕はあなたとかかわってすべてを失った。
残ったのは友情と愛、大好きな仕事。
生きる喜びをもらったんだ。

(フィリップの言葉)

 

フィニアスは、はったりでペテン・偽物だったかもしれないフリーク・ショーをとおして本物を手にしていたのです。

 

映画の結びは、フィニアスのモデルとなったP・T・バーナムの言葉です。

もっとも崇高な芸術とは人を幸せにすることだ

(P・T・バーナム)

 

まとめ

小人症のチャールズ、ひげ面の女性ベティ、ほかのフリークスは、

 

  • 私は隠されてきた
  • 私は存在しないものとされてきた

 

と言います。

これは、何かと似ていないでしょうか?

 

フリークスとは、目に見える身体の奇形・異形の人たち。

いっぽうで、目に見えない心の病を持ち狂人と呼ばれる私たちがいます。

そう、統合失調症に代表される精神病者たちと似ているのです。
いや、同じです。
私たちは、フリークスと同じように隠され、存在しないものとされてきました。

 

私は、自分が発病したとき、

 

  • 「こんな病気になってしまってもう自分の人生は終わりだ」
  • 「こんな病気になってしまって恥ずかしい」

 

と思いました。

私自身が偏見を持っていたからです。

幸運にも、私は理解のある家族に恵まれ、治療も受けられリハビリもできました。

 

けれど、2017年12月と2018年4月に明らかになったように、私が恵まれた環境で療養していたまさにその時期に、家族に疎まれ監禁されていた人がいたのです。一人は亡くなりました。

隠され、存在しないものとされた人がまだいたのです。
他にもいるかもしれません。もう平成も終わるというのに。

 

この事態をなんとかしたい。
なんとかできないか?

そう思っています。

 

 

 

では、また。

生きるって何だろう? 生命って何だろう?
谺(こだま)


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ABOUT US
谺(こだま)
谺(こだま)こと、児玉朋己といいます。 歌うピア・サポーターをしています。 静岡県藤枝市にある自立生活センター「おのころ島」が運営している地域活動支援センター「りんりん」の施設長です。 精神障害を持つ方へ同じ当事者としてピアカウンセリングを行うほか、シンガー・ソングライターとして音楽活動をしています。