怒りを感じなくなる方法! でも、期待は持っていいし伝えてもいい!:アドラー心理学「ELM」での学び

こんにちは!
谺(コダマ)ッチャンこと、児玉朋己です。

元気してますか? 私は仕事明けでリラックスしています!

あなたは、怒りをコントロールできていますか?
そして、「こうあってほしい」という期待とともに怒りを伝えられていますか?

「うまく伝えられない」「何を言ってもダメだ」「波風を立てたくない」という思いから、伝えること・期待すること自体を諦めてしまっていませんか?

今日は、怒りをまず感じなくなる方法と、「怒りをコントロールするとしても、期待は持ってもいいし伝えてもいい!」という私の気づきについてお話ししようと思います。

 

「決して怒らない人」だった私
~怒りが発生しない思考回路~

私は、決して怒らない人でした。

怒りを「封印」していたのではありません。
怒りが発生しない思考回路を作っていたのです。

 

怒りを発生させる思考

実の父がうつ病を患った経緯で、私はアーロン・T・ベックが開発した認知療法を知りました。

「父がうつ病だという。どうしたものか?」という思いで訪れた書店でいやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法(デビッド・D・バーンズ)という本と出合ったのです。

この本には、怒りのコントロール法についても詳細に書かれていました。

それを読んで、「怒りは『~べき』という思考から生じる」ということを学びました。

 

怒りを感じるのはなぜ?

あなたも、自分が怒ったときのことを思い浮かべればわかると思います。
怒りを感じるときは、その怒りが発生する直前に「当然~であるべきなのにそうでないじゃないか! けしからん!」と思考しているのです。

自分で設定した「あるべき姿」と現実とのギャップがあり、それが許せないときに怒るのです。

 

そうか、それなら自分から「~べき」という思考を追放してしまえば、決して怒らないことになるじゃないか! と思いました。

これは、何につけ自分で「あるべき姿」を設定しないということです。

 

「~べき」を捨てる

物事すべてについて、「~べき」を捨てよう。
そう決めました。

接する人すべて。物事全て。世の中の出来事・ニュースすべて。犯罪にすら。

これには、素晴らしい効果がありました。
怒りをまず感じなくなったのです。

封印したのではありません。封印するとは、あるものを閉じ込めておくことです。
怒りは〝発生しなくなった〟ので、封印する必要もないのです。

 

「~べき」を捨てる。
これが怒りが発生しない思考回路、怒りを感じなくなる方法です。

 

アドラー心理学「ELM」での学び

ところで、私はブームにあやかって、アドラー心理学の本を何冊か読みました。
けれど、独学のせいか、自分の生活への取り入れ方がいまいちわかりにくい。

悶々としていたところ、「アドラー心理学のELMという講座が開かれている。途中参加も可」という情報を得ました。

「おお! 生活への取り入れ方をやさしく教えてくれそうだ!」と思い、受講することにしました。

 

今日お話ししている気づきは、この講座を受講している真っ最中に降ってきたものです。

 

・ELM(エルム)とは、Encouraging Leader’s Manual の略で、アドラー心理学に基づく「勇気づけ」が短時間で学べる講座です。

・ELM(勇気づけ講座)のプログラムは、12章から構成されていますが、それぞれが独立していますので、どの章からでも、一部分だけでも学ぶことができます。

(ヒューマンギルド「ELM」テキストより)

 

全12章のうち、私は第3章から学び始めました。
これまで第6章まで学びましたが、今日の話に関連するのは、第4章「感情と上手につきあう」です。

 

受講中にハッと気づいたこと

この章では、感情とつきあうこと、特に怒りへの対処法を学びました。

講座の内容を詳細にはお伝え出来ませんが、相手の振る舞いに対して自分が怒りを感じたことを「私」メッセージを使って伝える手順を具体的に学ぶことができました。

その手順のうち、私がハッとさせられた項目があります。

それは、怒りを伝える際に「相手に託す想い(期待)を加えてもいい」ということです。

 

「俺は、相手に期待することを諦めていた」

私はハッとしました。
「期待」を伝えてもいい、というところです。

なぜハッとしたのでしょう?

その理由を考えてみました。

私は「~べき」を捨てたと言いました。
実はその時、私は「~べき」と同時に「相手に対する期待」をも諦めていたのだ、と気づいたのです。

 

期待するということ

その場で「期待」というものを思い浮かべてみました。
期待とは、相手に対する愛着から生まれます。愛情があるから、期待もするのです。期待してしまうとも言えます。

そこには、「あたたかいもの」が感じられます。

 

私は「期待」も捨てていた

私は「~べき」と同時に期待も捨てていました。
それはすなわち、相手に対する愛着・愛情・あたたかいものをも同時に捨てていたということです。

 

「期待」は捨てなくてもいい

「学んだ手順に沿って期待が伝えられるものだとしたら、期待を捨てる必要はないんだ」
私はそう思いいたりました。

それなら、相手に対する愛着・愛情も持っていられる。
衝撃でした。

 

期待しない世界とは
~期待を捨てるデメリット~

「~べき」と期待を捨てたことで、確かに怒りは生じなくなりました。
けれど、相手に対する愛着・愛情まで、私は失っていたのです。

その世界は殺伐とまではいきませんが、自覚のないままずいぶんつまらないものになっていたことにも気づきました。

「~べき」は捨てたとしても、期待は捨てなくてもいいんじゃないか?
私はそう思いました。

 

「~べき」は捨てたままで、期待は維持する。

そうすることで、相手に対する愛着・愛情も持っていられます。世界が色づき濃淡をもって感じられます。
世界が「あたたかいもの」に感じられます。

気がついてよかった。そう思います。

 

まとめ

怒りについては、「うまく伝えられない」「何を言ってもダメだ」「波風を立てたくない」という気持ちから、相手に期待することすら諦めてしまっている人がいるかもしれません。

そういう方は、私のように自分を不感症にして気持ちを閉ざし、世界をつまらないものにしてしまっているかもしれません。

でも、「~べき」を捨てて怒りをコントロールしつつ、愛着・愛情をもって相手に期待し、それを伝えることはできます。

それができれば、世界が色づき濃淡をもち「あたたかいもの」として感じられるようになるでしょう。

 

 

では、また。

生きるって何だろう? 生命って何だろう?
谺(こだま)


〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法

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ABOUTこの記事をかいた人

谺(コダマ)ッチャンこと、児玉朋己といいます。シンガー・ソング・ピアカウンセラーをしています。 静岡県藤枝市にある自立生活センターのおのころ島が運営している地域活動支援センター「りんりん」の施設長として精神障害を持つ方へピアカウンセリングを行うほか、シンガーソングライターとして音楽活動をしています。