こんにちは!
谺(コダマ)ッチャンこと、児玉朋己です。
お元気ですか? 私はまあまあです。
あなたは、「自分には青春がなかった」「自分には20代30代がなかった」という喪失感に圧倒されていませんか?
今回は、こうした喪失感にどう対処すればいいか考えてみます。
喪失感を処理する
悲しみを無理に感じないようにするのは、かえってあとあとダメージが残ると思います。
時間は一概に言えませんが、ある程度喪失感を味わった後、それに慣れていくことを選択しましょう。
そして、少しずつそれと距離を持つことができるようになりましょう。
そして、飼い馴らします。
そして、飼い馴らした後、意味づけを変えます。
これが、喪失感への対処法です。
私には30代がなかった
現在はかなり薄れてきましたが、私にも、「自分には30代がなかった」という喪失感を感じていた時期がありました。
私は、入院経験はないのですが、それでも、「自分には30代がなかった」という強い喪失感を感じていた時期がありました。いまでもまだ少し残っています。
知人に聞いてみると、「自分には青春がなかった」「自分には20代30代がなかった」という方々がいます。
時間ばかりが過ぎた時期
私たちは、発症してから診察にこぎつけたあと、必要な薬を処方してもらいます。そして、その後は消耗期・休息期と呼ばれる陰性症状の時期に入ります。この時期は、身体が重くなり頭も思うように働かないため、動作が鈍くなり家事手伝いが精一杯ということになります。
思うことを思うようにできないので、たまに発症からの自分を思い返してみたりすると、時間ばかりが過ぎてきたという感覚になります。
私は28歳で発症しました。バタバタしたあと、治療・療養に落ち着いて取り組めるようになったのは30代に入ってからでした。
両親に何も伝えられなかった日
30歳の誕生日に両親と外食をしたのですが、「30歳だぞ。何か感じるものはないか?」と自分に問いかけてみましたが、心は動かず、「何も感じない。寂しいな。」と感じたことを覚えています。
両親に気の利いたことを言いたかったのですが、何も伝えられませんでした。
成果を積み上げられなかった30代
その日から30代が始まりましたが、バイトを転々とするのがやっとでした。
40代になり、作業所という社会資源につながって自分を振り返る余裕が生まれた時、「30代には何も成果を積み上げることができなかった。」と感じました。
「ああ、自分には30代はなかったな。」と思いました。
病気にさえならなかったら?
ただ、30代は無駄だったな、とは思いません。
闘病の時期でしたし、薬を飲むという最低限のことを続けられただけですが、それが生活に彩りがつくようになる40代に繋がっていったのだと思います。
それでも、30代はなかったな、という喪失感はあります。病気にならなかったら、何かもっと実りある時間が持てたのではないか? という無念です。
喪失感を処理する方法
というわけで、こういった喪失感や無念への対処法です。
喪失感を強く感じ、嘆く時間は必要かと思います。悲しみを無理に感じないようにするのは、かえってあとあとダメージが残ると思います。
時間は一概に言えませんが、ある程度喪失感を味わった後、それに慣れていくことを選択しましょう。
そして、少しずつそれと距離を持つことができるようになりましょう。
そして、飼い馴らします。
そして、飼い馴らした後、意味づけを変えます。
意味づけを変えるということ
病気になった者として、その20代・30代は必要な時期だったのだと思うことにします。無駄な時期だったのではなく、いま現在の生活を支える基盤になった時期だったのだと捉え直すのです。
これは地味な作業ですが、過去の不本意な時期に囚われたまま現在をも不本意なものにするのを避けるために、とても大切な作業だと思います。
まとめ
これらができれば、過去へのマイナスな意味づけを変えて、不本意だった過去を、今を有意義なものにしていく基盤とすることができるでしょう。
あなたのお役に立てたらうれしいです。
では、また。
生きるって何だろう? 生命って何だろう?
谺(こだま)
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