「愛を読むひと」レビュー:傍観者ではなく当事者になる勇気はあるか?

こんにちは!
谺(コダマッチャンこと、児玉朋己です。

お元気ですか? 私はのんびりしています。

あなたは、放っておくと事態が悪い方向に向かってしまうと気づいたとき、対処すべく敢然と行動していますか?
自分がその事態に巻き込まれることを恐れて、傍観者になることを選択してしまうことはありませんか?

あるいは、問題が小さいうちに、早めに対処すればすぐに片付く問題なのに、放っておいて大ごとになってから慌ててしまうことはないでしょうか?

今日は、「愛を読むひと」という映画についてお話しします。
これは、1995年に出版されたベルンハルト・シュリンクの小説『朗読者』を映画化したものです。

物語に設定された時代背景を取り除き、主人公一個人の生き方としてこの映画をみると、大きな問題に遭遇して自分が関われるとわかったときに、自分は動けるか否か、というテーマがあると思います。

私はそう受け取り、「自分は動けているか否か?」と自問せざるを得ませんでした。

 

以下、完全ネタバレになっていますので、ご注意ください。

 

愛を読むひと

 

あらすじ

この映画は、さまざまな問題が重層的に重なり合い、深く考えさせる作品です。

主人公マイケルが15歳の時に知り合い、男女の関係になるもう一人の主人公ハンナ。ハンナはマイケルより21歳年上です。
逢瀬の中で、ハンナは書物を朗読するようにマイケルに頼み、それが二人の習慣になります。
そんな関係を数か月続けた後、ハンナは突然マイケルの前から姿を消します。
マイケルはそれが原因で、打ち解けて人と付き合うのが苦手な大人に育っていきます。

法学部に進学したマイケルは、ゼミの授業でナチス政権下で戦争犯罪を犯した看守を裁く裁判を傍聴することになります。
そして、ハンナが被告人として証言しているのを見つけます。

ハンナは裁判の過程で自分に不利な証言をしますが、それでは本来受けなくてもいい重い罪を背負うことになります。それを見抜いたのはマイケルだけでした。
しかし、マイケルはハンナと面会することをせず、深く迷いながらそれが〝冤罪〟であると証言することもしませんでした。
結果として、ハンナは殺人罪で無期懲役の判決を受けます。

ハンナが自分に不利な証言をした理由、その秘密は、彼女が文盲だったということです。
ハンナは、自分が文盲だと知られるのを避けるため、文盲の彼女にはできるはずもない報告書の作成を自分が行ったという証言をしたのでした。

それからまた年月が流れ、マイケルは服役中のハンナに書物を朗読したテープを送るようになります。
やがて、刑務所からハンナが仮出所するという連絡が来て、マイケルは彼女に会いに行きます。
マイケルは、出所後の生活の用意がしてあると彼女に告げて帰りますが、出所の前日にハンナは自殺したのでした。

 

ナチスを裁く戦後のドイツ

私には、戦後のドイツでは、戦争の責任はすべてナチスにあったという考えが根本にあるという認識があります。
それは、日本とドイツの戦争責任の果たし方の違いについて書かれた本で知った認識です。なんという本だったのかは失念しました。

日本では、「一億総ざんげ」という言葉に象徴的に表れているように日本人全体で罪を背負ったが、ドイツでは違ったという認識です。

ハンナが受けている裁判は、戦争の責任者であるナチスの一員だった彼女の罪を清廉潔白な戦後非ナチスドイツ人が裁くという裁判です。

マイケルは、その潔白な戦後ドイツ知識人・法律家の卵であり、裁かれているのはかつて自分の愛した人なのです。

 

傍観者になってしまったマイケル

それなのに、マイケルは結果的に傍観者となってしまいました。

ここからは、物語の時代背景を取り除き、マイケルの一個人としての生き方について考えます。

ハンナの真実を知るものとして動けたのはマイケルだけだったのに、彼は動きませんでした。
マイケルはゼミを指導する教授にハンナの真実について相談したのですが、彼女は文盲を恥じているという思いからそれを教授には言いません。
このとき、マイケルは教授から〝行動〟を促されるのですが、試みたものの断念してしまいました。

裁判は、マイケルがいなかったかのように進んでしまいました。
行動しなかったので、マイケルがいなかったのと同じ結果になってしまったのです。

 

私には当事者になる勇気があるか?

裁判の進行中、教授に促されたことで、マイケルはハンナと面会しようとしますが、やめてしまいます。

このときに面会していれば、最低でも「文盲であることを公表した方がいいのではないか?」「どうしても文盲の公表は嫌なのか?」について話し合うことができたはずなのに。

 

さて、私に行動しなかったマイケルを責める資格はあるでしょうか?

私は、自分が動くことで事態を変えられるとき、しかるべく行動しているでしょうか? 傍観者になっていないでしょうか?

この問いを忘れないようにしたいです。

 

 

まとめに代えて

以上のレビューをまとめたあと、この動画を発見しました。
故・西部邁氏による批評です。

私が取り除いた時代背景を、鋭い目線で解説してくれています。

ハンナは、ヨーロッパにおいてユダヤ人よりさらに下のアウトカーストだったジプシーのロマ族だったのではないか。だから文盲だったのだし、それを公表できるはずもなかったのだ。

(西部邁:談)

教養があるとここまで掘り下げることができるのだと感嘆しました。

 

生きるって何だろう? 生命って何だろう?
谺(こだま)


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ABOUTこの記事をかいた人

谺(コダマ)ッチャンこと、児玉朋己といいます。シンガー・ソング・ピアカウンセラーをしています。 静岡県藤枝市にある自立生活センターのおのころ島が運営している地域活動支援センター「りんりん」の施設長として精神障害を持つ方へピアカウンセリングを行うほか、シンガーソングライターとして音楽活動をしています。